小川瓦木は千葉県白井町に生まれる。昭和14年、大日本書道院展で金賞受賞(翌年も同賞受賞)。昭和15年、師の上田桑鳩らとともに奎星会の結成に参画。以後、同会を中心に発表を続ける。戦後は奎星会の再発足に際して、第1回より参加し、同展に以後発表するとともに、同会の機関誌「奎星」の編集を担当する。ことに昭和30年代には、桑鳩の示した「線による美の構成」をさらにすすめ、一段と大胆な試みを示すようになる。
キャンバス地に油彩、ラッカーの駆使、さらには紙の上にろうを引きその上に墨を流すという染的技法の援用による版的作品など広範な素材の探究の他、陶芸・金属による立体造形や、非文字作品を試行し、先鋭的な作品を手がける。国内ばかりでなく、海外での個展の他、昭和28年、「日本の建築と書」展(ニューヨーク近代美術館)、昭和30年、「現代日本の書・墨の芸術展」(ヨーロッパ巡回)、昭和37年、「現代日本の書・意味と記号」展(西ドイツ)をはじめとした国際美術展に積極的に発表する。
その後、今一度、文字性に回帰するが、上田桑鳩の「彩書」を発展して、黒無地の紙に顔料による作品を展開し、色彩と立体的なボリューム感を持った作品を独自に展開する。昭和52年、奎星会・毎日書道展を離脱し、書研社を主宰し、また同年、東洋書芸院を設立し、会長となり、以後、同展に発表する。平成7年、作品を郷里の千葉県白井町郷土資料館に寄贈し、常設展示される。
その後も、平成9年、象形文字をもとにした大作による個展を開催するなど、晩年まで精力的な発表を続ける。平成12年、死去。著作に『字かきやろうのねごと』他がある。
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