上田桑鳩は明治32年、兵庫県吉川村(現・吉川町)に生まれる。その後、宝塚の上田家の養子となり結婚。昭和4年、比田井天来の門に入り、天来の下で多様な古典を学習し、昭和5年、第1回泰東書道展に出品、「臨黄庭経」で文部大臣賞を受賞。
その後、昭和8年、同志と書道芸術社を結成し、また「書道芸術」を創刊して造形としての書について論評を発表。昭和12年、大日本書道院を結成。さらに昭和14年の天来死後、翌年には自ら奎星会を結成主宰する。同年『臨書研究』などの古典研究を行い、敗戦後、あらためて「書の美」「奎星」を発刊し、字形のデフォルメ・紙面内の付置といった造形性から、連筆、藁筆、膠入りの墨等の素材研究などまで、実験的な作品を精力的に発表。
昭和26年日展に出品の「愛」を巡って論議を呼び、昭和30年には同展を脱退する。以後、奎星会、毎日前衛書展等の他、昭和35年、ピッツバーグ現代国際絵画彫刻展、昭和36年、サンパウロ・ビエンナーレなどの国際展にも出品する。
昭和30年代以後の晩年には岩絵の具による色彩をともなった「彩書」を手がけ、三田・方広寺等に揮亳。昭和43年、死去。著作には『蝉の聲』をはじめ、作品集・入門書・各種指導書等多数。
桑鳩は文房清翫のほか古陶器・水石等を蒐集し、また小林和作などの洋画家と交流し、陶芸、絵画をはじめ、舞台芸術までその制作は及んだ。その横断的で柔軟な姿勢は、文人的な資質と西洋美術思潮とが切り結んだ独自のものであった。
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